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Mar 29
“はてブでは若干批判が強いようですが、個人的には納得するところがあって、「マスメディアのジャーナリズムを批判する『だけ』はそろそろ終わりにして、ネット上のジャーナリズム自体の改善も図ろうよ」という意見だと理解しました。また掛け声だけではなくて、具体的な取り組みを行われている藤代さんを偉いとも思います。ただ「ネット上の言論」とは何か、「コンテンツの質」とは何かという定義が曖昧だったので、納得できない部分を感じた方がいらっしゃったのではないでしょうか。”

POLAR BEAR BLOG: ブログの「質」って何だろう。

なんだか落ち着かなくなったのでネットの片隅で一言しておくの巻。問題系はシンプルで、

・分野や状況、場面で要求される品質方向ってまったく違うのにジャーナリスト軸だけで良し悪しを語るのは違うよね

・Blogってのはメディア的使い方特性もあるけど、そうじゃない用途や目的というのは実際にあるものなので、マス的な語り口がベストかと問われたらもちろんそんなことは無い

というところでしょう。つまり、ある部分の話(=メディア的言説)を全体(=Blog全体orネット全体)のように語っている構図とその中を引き受けてるというスタンスは変なんじゃない?とかいうとこです。よって、「質」という単語にも限定利用条件がつくはずで、「メディア機能の今後を考えるにあたりBlogの果たす役割とそこで必要な文体やスタイル」というスコープ設定が適切。

比較して、最近はあちこちの専門家クラスターを眺めるのが割と楽しくて、いわゆるアクセスを稼ぎそうにまったくない話題ばっかり追いかけてますが(たとえば、CDSの取引リスクとプロテクションとヘッジの考え方についてとか)、そういうのって実務家だったり専門家の言葉として書かれるのが正しいんですよね。そして、周囲も似たような人たちが読んでいて、その周りに私たちみたいな専門家じゃないけど、トピックの基本構図だけは捕らえていて状況モニタリングをしている人が見守っている、と。

この構図には、いわゆる万人が分かる文章とか書き方というのは要求されていません。むしろ、記述精度が落ちるのがマス文体なのでかけ離れたところに行きます。レポートとかややこしい会議の検討資料みたいな感じ(大人数向けプレゼンではない、あくまでも関係者打ち合わせ資料)。

そして、こういう議論のなかにびっくりするような玉が混じってる訳です。アルファなんちゃらとかそういうのは関係ありません。各所にひっそりといるエキスパート格の発言はかなり注目しています。そして、これらの発現が広い意味では流通しないことも理解しています。これはマス的なトレーニングや母集団が増えたから出てくるというものでは無い。そして、一般的なニュースと比較するものかと問われるとそれも違う。別物、との表現が正しいでしょう。文章の目的にしても読み手にしても。存在意義についても。

でも、私にとっては貴重な情報源ですし、考察の種であり、成長の肥やしであり指針です。

ついでにですが、新聞は読まなくなって久しいです。

おまけ:「上記の話みたいなそういう文章とか書けるようになるにはどうしたら」というような問いかけをたまーに受けますが。というか、単に文章スタイルという問いかけでないことが多いですが。

答えとしては、実務能力とか専門性をきっちりと磨くことと、バランスよくライティングできるようにというテクニカルライティングみたいな話を伝えるようにしてます(絶対的な回答ではないですが)。いわゆる美しい日本語とか文学的表現とか修辞的なものではなく、ロジックの組み立てに近いところですね。